はじめまして。
本来の感覚と調和を取り戻す
心理カウンセラーの 禾穂(カスイ) と申します。

どこか、自分のままではない気がする。
周りに合わせている自分に、
ふと違和感を覚える。
本当は、もっと自由に。
もっと自分らしく、軽やかに生きたい。
頭ではわかっているのに、
なぜか、心や身体がついてこない。
「このままでいいのかな」
そんなふうに、ふと立ち止まることがある。
ただ、
「わたし」の感覚で生きていきたい。
もし、そんな感覚があるのなら、
それはもしかすると、
本来の自分の感覚と少しズレているサインかもしれません。
カウンセリングを受ける前に、
「どんな人なんだろう」と気になる方も
いらっしゃると思います。
よかったら、私自身のことも
少し知っていただけたらと思います。
カウンセラーのプロフィール
3歳のとき、実母を亡くしました。
その後、新しい母を迎え、妹が生まれ、家族が再編成されるなか、
「私は大丈夫」と見せることで、
周囲と自分を守るようになっていきました。
過剰に人を不快な思いにさせたくない。
人に迷惑をかけたくない。
そんな思いが強く、
子どもの頃から、外では具合が悪いことさえ言えませんでした。
そうやって「いい子」を演じているうちに、
自然な感情が湧いてこない。
笑っていても、怒っていても、
どこか他人事のような感覚。
本当の自分がずっと置き去りになっていたことに、
当時は気づいていませんでした。
そして私は、
人に合わせることが当たり前になり、
自分の気持ちよりも相手を優先するようになっていきました。
恋愛でも、
「この人しかいない」と思い込むほど
相手に自分の人生を預けてしまう。
結果として、共依存の関係に陥り、
相手が引きこもれば、自分の心も閉じこもる。
気がつけば、動けない毎日。
自分の本当に好きなものがわからない。
自信がない。
自分のことなのに、決められない。
それなりには幸せだから、と自分に言い聞かせる一方で、
現実逃避するように眠り続け、
思考も感情も、どこかに置いてきたような日々を過ごしていました。
「全部、自分のせい」
そうやって自分を責め続けたどん底で、
私はようやく「手放す」という選択をしました。
過去も、未来も、一度手放す。
そして「今」に戻ったとき、
これまで点だった出来事が、ひとつにつながっていきました。
そして私は、
本当の自分と出会い直したような感覚を得たのです。
そこから、私の人生は静かに動きはじめました。
その体験をきっかけに、
心理や潜在意識について学び、
カウンセラーとして活動をはじめました。
けれど、活動を続けるなかで、
ひとつ確信したことがあります。
本当に人生を動かしているのは、
方法や努力だけではない。
その土台にある、
「自分が自分をどう感じているか」
「何を本当だと思って生きているか」
そして、
「自分の感覚と調和しているか」。
人生が動かなかったのは、
行動できなかったからでも、
努力が足りなかったからでもありませんでした。
そもそも私は、
自分が本当にどこへ行きたいのかを、
自分で選んでいなかったのです。
「こうしたほうがいい」
「こう思われたくない」
「これくらい我慢するべき」
いつの間にか、
そんなものを基準に生きていた。
だからこそ、
先に整えるべきものがある。
心の奥にある思い込みや、
自分でも気づいていない心のパターンに気づき、
本当はどう感じているのか。
本当はどうしたいのか。
そこに触れていく。
自分の感覚を取り戻していくと、
「こうしなければ」ではなく、
「私はこうしたい」が少しずつ見えてきます。
そして、
自分で選べるようになる。
そのとき、
ゴールは「無理に立てるもの」ではなく、
自然と立ち上がってくるものへと変わっていきます。
同じ場所にいても、
見える世界はまったく変わっていく。
そして今、セッションを通して感じているのは、
人は自分の内側が整ってくると、
自然と「自分のためだけ」ではなくなっていくということ。
無理に何かを与えようとしなくても、
その人の在り方そのものが、
関わる人へと伝わっていく。
だから私は、
やり方を増やすことよりも、
「そもそも、それは本当にあなたが望んでいることなのか」
「その『こうしなきゃ』は、本当にあなたの答えなのか」
そんな、ズレていた前提に気づくことを大切にしています。
本音も、欲も、
もっと自由に扱っていい。
自分の感覚で選び、
自分の人生を生きていい。
私はどうしても、
違う景色を見たかった。
その想いが、今の私の原点です。

詳しいプロフィールはこちらから⇓⇓⇓
自分の感情がよくわからない
3歳のときに、母が他界しました。
その後は、祖父母、父、兄二人との暮らし。
母の記憶はほとんどなく、
その頃のことも、あまり覚えていません。
小学校1年生のときに、
今の母を迎えました。
そのときも、
「新しいお母さんなんだな」
というくらいの気持ちで、
大きな感情の変化はありませんでした。
というより、ほとんど覚えていない。
今振り返ると、
私はとても自分の感情に鈍感だったのだと思います。
「寂しい」という気持ちも、
「嬉しい」という気持ちも、
自分の中にあるものとして、
うまく理解できていなかったのかもしれません。
私は、
「感じない」ことで、自分を守っていたのかもしれません。

小学校4年生のときに、妹が生まれます。
私自身は、特に何かを感じていたわけではありませんでした。
けれど、なぜか祖母や親戚が、
私のことを「かわいそうな子」という目で見てくる。
友人からも、かわいそうだと思われているような気がしていました。
私は、その「かわいそうな子」という見られ方が
嫌だったのだと思います。
「私は気にしていない」
「私は大丈夫」
そんな自分を見せなければ、と
思うようになりました。
そうして私は、
“演じること”を覚えます。
本当はどう感じているのかよりも、
人からどう見えるか。
そこを気にするようになっていきました。
人から幸せに見える自分でいたかった。
本音を隠し、
弱さを見せず、
人に迷惑をかけない。
そうやって、
周りにとって「大丈夫な自分」でいることが、
少しずつ私の当たり前になっていきました。
具合が悪いことも言えなかった子供時代~
具合が悪いことさえ、
「人に迷惑をかけてしまう」
「不快な思いをさせてしまう」
そんなふうに思い、
言えずによく我慢をしていました。
小学校の頃、激しい頭痛に見舞われたことがあります。
本当はつらくて、泣きたいくらい苦しい。
それでも、
誰にも気づかれないように、
泣きながら授業を受けていました。
「具合が悪い」と言うことさえ、
誰かに迷惑をかけることだと思っていたのです。
今振り返ると、
私は自分のつらさよりも、
「人に迷惑をかけないこと」を優先していたのだと思います。

大人になってからも、旅行や食事に行っても、
「迷惑をかけてしまう」
「楽しい気分を害したくない」
そんな思いがあり、
具合が悪くても我慢して乗り切るというクセがありました。
人を不快にさせたくない。
そのことを、必要以上に気にしていたのだと思います。
特に、親や兄弟の前では
弱いところを見せたくないという思いが強く、
悲しいことがあっても、
ひたすら一人で、影で泣いていました。
そんな私を見て、親から
「あなたはいつも悩みがなくていいね」
と言われたことがあります。
その言葉に、
ものすごく腹が立ったことを覚えています。
今思えば、
すごく矛盾した怒りです。
我慢をして、
本音を言えず、
それを見せていなかったのは自分なのに。
「わかってほしい」と思いながら、
「わかってもらうための自分」は見せていなかった。
当時の私は、そんなことにも気づいていませんでした。
自信がもてず、自分で何も決められない
何かを自分で決めると、相手の反応が気になって、すごく不安になる。
だから、自分から友人を遊びに誘うことはほとんどなく、誘われたら、その誘いにのるという感じでした。
自分がどうしたいかよりも、
「相手はどう思うかな」
「楽しんでもらえるかな」
そんなことばかりを気にしていました。
自分はそれほど楽しめていなくても、
相手が楽しんでくれていたら、それで安心する。
そもそも、自分が本当に楽しいと感じているのかも、よくわからない。
周りが楽しそうにしているから、
私も楽しんでいる。
そんなふうに、周りに合わせて「楽しむ」ことを覚えていたのだと思います。

“自分”がないので、仲の良い友人が選ぶ道に進み、
話し方や考え方、選ぶもの。
そして、本当に自分が好きなものさえ、よくわかりませんでした。
それでも、身近な人が選んでいるものを見て、
「私もこれが好き」
と思い込んでいました。
知らない人には人見知りをするのに、
身近な人にはものすごく頼る。
考え方も、選択も、いつの間にか相手の影響を受けている。
自分で決めているつもりでも、
振り返ってみると、「誰か」を軸に決めていたのだと思います。
それが「依存体質」だったと気づいたのは、ずっと後のことでした。
地元を離れて東京へ ~たった2週間で会社が潰れる~
今まで、自分の意志で大きなことを決めることもなかった私が、
地元・福岡を離れ、東京へ。
昔から私を知っている友人たちは、本当に驚いていました。
新しい場所。
初めての環境。
周りから見れば、
「自分で人生を決めて、大きな一歩を踏み出した」
ように見えたと思います。
でも、今振り返ると、
自分で人生を決めたように見えたのは、表面だけでした。
「自分で選ぶ」という根本の部分は、何も変わっていなかった。
そして東京に来て、たった2週間で会社が潰れます。

家付きの仕事だったため、会社がなくなると、住むところもなくなりました。
家を探している間は、元職場の人たちとマンションを4人でシェア。
そして、そんな中でパートナーと出会います。
出会ってからわずか半年。
東京に来て半年ほどで、私たちは同居を始めました。
今思えば、短絡的だったことは言うまでもありません。
そして後になって知ることになります。
そのパートナーは、もともとは反社会的な世界にいた人でした。
定職には就かず、出どころのよくわからないお金。
自分で事業を始めては辞める、の繰り返し。
ほとんどを家で過ごし、引きこもっているような状態。
私から見ると、それも遊んでいるようにしか見えませんでした。
お金遣いも荒く、ブラックリストにも入っていたため、
生活費は、私が一人で働いて得たお金。
常に生活は厳しい状態でした。
それでも私は、パートナーを全面的に信用していました。
それまでの私は、身近な人に強く頼り、影響を受けることを「依存体質」だと、まだ理解していませんでした。
だから、銀行口座も、クレジットカードも、暗証番号も、すべて共有していました。
「この人なら大丈夫」
「何があっても一緒にいる」
そんなふうに、全面的に信用していたのです。
気づけば、何があっても、どれだけ苦しくても、逃げ場がない。
私にとって、パートナーはそれほどまでに絶対的な存在になっていました。
これまでの私の生き方からすれば、
まるで流れの想像通り。
「自分をなくして、誰かを軸にして生きる」という図が、どんどん出来上がっていきました。
心、体が蝕まれていく…
周りの友人たちは、どんどん結婚や出産をしていく。
そんな中でも私は、
「私にはパートナーがいる」ことが、自分の価値だと思い込んでいました。
だから、離れるという選択肢を持つことができない。
苦しくても、つらくても、
ただただ、その状況に耐えて生きていました。
心も、体も、少しずつ蝕まれていく。
それでも、離れられない。
当時の私は気づいていませんでした。
私は、「共依存」というものの渦中にいたのです。

いつかは良くなるだろう。
彼の仕事さえ安定すれば、きっとすべてうまくいく。
そんなふうに、ずっと思い込んでいました。
家族や友人にも、何も言えませんでした。
お金が苦しいことも隠して、
外に出れば、何事もないように普通に振る舞う。
周りに気づかれることもないくらい、
私は「大丈夫な自分」を演じていたと思います。
幼少期からの役者ですから、
それはもう、見事なものでした。
絶対に、どうしても、幸せ“に見える”自分でいたかった。
でも、これは大人になって突然始まったことではありませんでした。
子どもの頃からずっと続けてきた、私のクセだったのです。
本音を言えない。
感情に嘘をつく。
自分を出せない。
そうしているうちに私は、
自分が何を感じているのかさえ、わからなくなっていました。
気づけばもう、ずっと感情を感じられなくなっていたのです。
沈んでいく、共依存の沼
あるとき、パートナーから、心療内科でうつ病と診断されたと聞かされます。
そのとき、まず思ったのは、
「なぜ私じゃなくて、パートナーが?」
でした。
「自分だったらよかったのに。」
そして、
「心配してあげれば、これをきっかけに、これからちゃんとしてくれるのではないか?」
そんなことを考えていました。
今振り返れば、すごく偏った、依存の中にある考え方だったと思います。
相手のことを心配することで、相手を支えようとする。
そして、相手が良くなれば、自分の状況も良くなる。
そんな考えの中で、私はますますパートナーから離れられなくなっていました。
薬をもらっていましたが、状況が大きく変わることはありませんでした。
むしろ、出会った頃とほとんど変わらない。
「本当に診断は合っているのだろうか」
そんな疑いを持つことさえありました。
そして、何年も引きこもりの状態は続きます。
パートナーが家にこもっている中で、
「自分の世界も、この中だけでいい」と、いつの間にか私自身も社会から離れていきました。
自分がない私は、相手の世界にそのまま影響され、心理的にも引きこもっていったのです。
何年も続きました。
外の世界から切り離されたような感覚。
まるで、自分だけ別の世界にいるような、
社会から取り残されたような感覚でした。
「このままずっと、この中で生きていくのかな」
そんな思考停止に近い諦めもありました。
それでも、
「お互いがいるだけで幸せなのかもしれない」
そう自分に思い込ませていました。
苦しいのに、離れられない。
この状態が普通になってしまって、
そもそも「ここから抜け出す」という発想すら持てなくなっていました。
私はいつの間にか、
そんな「共依存」という沼に、どっぷりとハマっていたのです。

その後、さらに、本当の絶望のような経験をします。
ここで、そのすべてを明かすことはできません。
ただ、そのとき私は、
未来を、どうしても見たくない。
未来が進んでいくことが、怖い。
そんな感覚の中にいました。
でも、死ぬこともできない。
だからといって、生きていたいわけでもない。
どこにも行けない。
何を選ぶこともできない。
そんな、言葉にすることも難しい感情を味わいました。
潜在意識のしくみを知り、本当の自分との出会い直し
絶望を味わい、私は、すべてを手放しました。
耐えられない過去を捨て、
不安でどうしようもない未来を捨てる。
この瞬間だけ。
今だけ。
今日だけ。
そうやって、一日一日を生きていました。
過去でもなく、未来でもなく、
“今”と“自分”だけを見ていた。
すると、そこには “本当の私”がいました。
ずっと、ここにいたはずなのに。
まるで初めて出会ったような、
不思議な感覚でした。
私はそこで、
本当の自分と、出会い直したのです。

自分の感情の感じ方がわかるようになり、
その感覚にただ従っていく。
すると、同じ場所にいるのに、
見える世界が変わっていきました。
何か特別なことをしたわけではありません。
ただ、今まで見えていなかっただけ。
そこにはずっと、
新しい世界があったのです。
新しい世界は、すでにそこにありました。

自分で自分を幸せにする、その方法
先に書いた、
「絶対にどうしても、幸せ“に見える”自分でいたかった」という思い。
でも、本当は違ったのです。
人から幸せに見える自分ではなく、
絶対にどうしても、幸せな自分でいたい。
それが、私の心の奥にずっとあった、本当の願いでした。
人からどう見えるかではなく、
自分自身が「私は幸せだ」と感じられること。
誰かに幸せにしてもらうのではなく、
自分で自分を幸せにする。
それが、私がずっと探していたものだったのだと思います

「このままでいいのかな……」
そう思いながらも、
その気持ちを見ないようにして、やり過ごしてきた時間。
私自身がそうだったからこそ、
大切な「今」という時間を何年も過ごしながら、
本当の望みを見ないようにしている人が、たくさんいることにも気づきました。
でも、本来の感覚に戻っていくと、
現実は静かに、でも確実に動きはじめます。
無理に変えなくてもいい。
頑張って乗り越えなくてもいい。
ただ、自分の感覚に触れていく。
「私は、どう感じている?」
「本当は、どうしたい?」
そこから自然と、
「どう生きたいか」が立ち上がってきます。
そして、その小さな選択が、
少しずつ現実を動かしていく。
そしてもうひとつ。
自分の内側が整ってくると、
自分のことだけじゃなくなる瞬間があります。
何かをしようとしなくても、
どこかに伝わっていることがある。
自分が自分の感覚で生きることは、
自分ひとりのためだけではないのかもしれません。
私は、自分の人生を生きることで、
ようやく見えるようになった景色があります。
だから今度は、
その景色を見たい人と一緒に歩いていきたい。
本当の自分と出会い直したら、
現実は想像以上に動き出す。
リコネクト・マインドメソッド
本来の感覚と調和を取り戻す

お悩み解決にはカウンセラーとの相性も大事ですので、
まずはお試しカウンセリングを受けてみてくださいね。
お話がまとまってなくても大丈夫です。
100%あなたの味方となり、こちらから質問をさせていただきますので
ゆっくりとお答えいただくうちに、複雑になった思いが紐解かれて整理されていきます。
段階を踏んで、心理療法のケアから人生を大きく動かす未来次元コーチングを行っています。
あなたの今いる場所を変えなくても、見える景色、世界は変わってゆきます。
LINEからのお問い合わせ、ご予約、はじめました!
LINEをご登録いただいた方には、3回往復無料メールセッションさせていただきます。
「LINE特典」と送ってくださった方のみとなります。
