「もうだめ終わった…」嫌な出来事もひっくり返る法則

生きていれば頻繁にある、「もうダメ終わった…」

頻繁にあったらいやですが…

軽いものなら大声で「うわああ、この世の終わりだーー!」といってみてください

いやそこまでではないな、と我に返れます。

もしくは近くで聞いている人がいれば、一緒に「ほんまやぁぁ終わりだー」というと

さらに我に返れます。

ではそうではない時。

自分の中で、「あぁもうだめだ」が発動したときに

ひっくり返る法則、

それは…

陰陽の法則です。

陽:外へ広がる、活動的、明るい、昼、太陽、火

陰:内に向かう、静的、暗い、夜、月、水

現代では「陽キャ」「陰キャ」といった言葉が出てきて、

陽=明るくて良い、陰=暗くてネガティブ、

のように受け取られがちですが、

本来は「どちらも必要な性質」。

そこに「良い・悪い」という上下関係はなく
昼と夜が入れ替わるように、陽も陰も循環しながらバランスを保っています。

つまり、陰と陽は必ずセットで同じ分量ある、ということ。

「もうダメ終わった…」それほどの何か嫌な出来事があったとき、
そんなときも、裏側では同じだけの陽が広がっています。絶対です、絶対。

そうです「じゃあ、陽はどれ?」と探すんです。

同時にセットならば、 陽側を見ないとただただ、もったいないんです。

もうそこに在るんです見ていないだけ
つまり、どちらの側に意識を向けるかを選んでいるのは、自分でしかないんです。

で、このときに、陽側を見たとて、現実はすぐには変わらない。それはそう。

でも、自分の内側のエネルギー状態は確実に変わっています。目に見えないからわかんないよ!

これこそ潜在意識の力。

自分の97%以上を占める潜在意識のほうが強いに決まっている。

このエネルギー状態こそ、内側は見えないところで動き出しています。
だからこそ、今この瞬間に「陽」を選ぶ。
同じ分量で存在するなら、どちらを見るか決められるのは自分であり選べるということ。

その出来事で選ばされているのではなく、自分が選んでいるんです

自分で選べると思うとすごく楽になれるんです。

たとえば「不安が消えない」というとき。
これは、まだ何も起きていないのに、頭の中で最悪の事態をぐるぐる想像し続けている状態です。

「こんなことになったらどうしよう…」

「やっぱりダメかもしれない…」

実際には、まだ何も起こっていない。真ん中の状態。

むしろそれは「不安」で済んでいるんです。

本当にその最悪の事態が現実になったら…?
目の前の問題に直面し、思考は必死に状況に対応することしかできなくなる。


不安があるということは、まだそこまでには至っていない。

いわば「陰を先取りして見ている」状態。

でも、陰と陽は必ず同時にあるものだから、

裏側には「陽側のこうなりたい自分」も存在しています。

いやいや、そうはいっても難しいです。(誰?)

もともと人は、陰側を見るほうが得意なんです。
ご先祖様の狩りの時代、森では「危ないものが隠れていないか」を常に気にしていました。

死ぬか生きるか、ですからね。
だから、危険や不安、問題といった陰側に目が向きやすいのは、人間の本能なんです。

じゃあ、どうしたらいいのか。

「こうなりたい自分」を探して見る練習をするこれしかないです。

スポーツ、習い事と一緒です。

練習してこそ、出来るようになりますよね。

じゃあ、逆に、何か喜びを手にしたときでさえ、
もちろんその裏には必ず陰の影も存在しています。

これは、陰があることを引き受けておく、ということが大事です。

旅行を楽しむとき、「お金を使う」「疲れる」があることを引き受けておく、そんなイメージです。

私ごとですが、少し前に、大塚国際美術館へ行きまして
ミケランジェロの《最後の審判》を観てきました。


システィーナ礼拝堂の有名なフレスコ画です。

あの壮大な場面を眺めながら、「あれこれも陰陽だな」と思いました。

陰と陽は、互いに引き立て合う関係。
光があるから影が生まれ、影があるから光が際立つ。

そう考えると、東洋の思想だけでなく、

西洋の芸術の中にも同じような視点が込められているのかもしれません。
何を言いたいか

つまり、そんな昔から人は「光と影のバランス」があるということ、

目を向けてきたということなんです。

そして大事なのは、その両方の中から「自分はどちらを選ぶのか?」を意識していくことです。